日本の「阻害要因」と中国の「技術的偏見」及び「逆の教示」との関係について
要 約:本稿では、日本の「阻害要因」と中国の「技術的偏見」及び「逆の教示」との関係を簡単に検討した上で、日本の「阻害要因」を中国の特許実務に適用する場合、認められない原因を分析して、得られる示唆について、検討を行う。
キーワード:阻害要因 技術的偏見 逆の教示
はじめに
日本の特許実務において、進歩性の主張において、副引用文献を主引用文献に適用することには阻害要因があると主張することは、非常に有用である。しかし、「阻害要因」を中国の特許実務に適用する場合は、それほど有用ではない場合がある。
中国の特許実務における「技術的偏見」及び「逆の教示」は、日本の「阻害要因」に関連する概念である。本稿では、これらの間にはどのような関係があるかについて、簡単な検討を行う。
1.日本の進歩性判断における「阻害要因」
表1に示すとおり、日本の「特許・実用新案審査基準」(以下は、「審査基準」と略称する)第III部第2章第2節の規定により、進歩性判断の論理付けを試みるとき、進歩性が否定される方向に働く要素と、進歩性が肯定される方向に働く要素とが存在する。
表1 論理付けのための主な要素(日本)
阻害要因の例としては、副引用発明が以下のようなものであることが挙げられる。
(i)主引用発明に適用されると、主引用発明がその目的に反するものとなるような副引用発明、
(ii)主引用発明に適用されると、主引用発明が機能しなくなる副引用発明、
(iii)主引用発明がその適用を排斥しており、採用されることがあり得ないと考えられる副引用発明、
(iv)副引用発明を示す刊行物等に副引用発明と他の実施例とが記載又は掲載され、主引用発明が達成しようとする課題に関して、作用効果が他の実施例より劣る例として副引用発明が記載又は掲載されており、当業者が通常は適用を考えない副引用発明。
また、日本の「審査基準」には、「ただし、阻害要因を考慮したとしても、当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことが、十分に論理付けられた場合は、請求項に係る発明の進歩性は否定される。」との記載がある。
2.中国の進歩性判断における「技術的偏見」及び「逆の教示」
中国の「審査基準」では、日本の「審査基準」のように、進歩性判断の考慮要素を進歩性が肯定される方向に働く要素と、進歩性が否定される方向に働く要素に分けていない。中国の「審査基準」に規定する進歩性判断の考慮事項を上述の2つの要素に分けて、表2に示す。
表2 論理付けのための主な要素(中国)
2-1「技術的偏見」について
表2に示すとおり、進歩性が肯定される方向に働く要素では、中国の「技術的偏見」は日本の「阻害要因」と似たような概念である。
中国の「審査基準」の規定により、「技術的偏見」とは、ある時期内、ある技術分野において、ある課題に対して、一般に存在し、客観的事実から偏った技術者の認識をいう。この技術的偏見により、その他の可能性に想到しないよう誘導され、当該技術分野の研究と開発が妨害される。
このように、「技術的偏見」についての認定が厳しく、単にある人の認識またはある先行技術は「技術的偏見」にならない。「技術的偏見」は当業界において一般的に存在する逆の認識であり、経験則の程度のものとはいえる
[1]。
2-2「逆の教示」について
「逆の教示」は「審査基準」中の「3ステップ法」の、特許を請求する発明が当業者にとって自明であるか否かを判断する第3ステップに関連している。「審査基準」では、「判断の過程で決定しなければならないのは、先行技術の全体に何らかの示唆が存在するか否か、即ち、先行技術において相違点を最も近い先行技術に適用してそこに存在している課題を解決する示唆が与えられているか否かである。このような示唆は、当業者が上記課題に直面したとき、当該最も近い先行技術を改良して特許を請求する発明を取得できる動機となるものである。」と規定されている。
つまり、「逆の教示」から主張することにより、当業者は最も近い先行技術を改良して請求項に係る発明を得る動機付けがないと主張することができる。
「逆の教示」の判断方法及び判断基準については、「特許法」、「特許法実施細則」及び「審査基準」に明確に規定されていないため、人によって認識や判断基準が異なっている。具体的には、①当業者の技術に対する認識レベル、②先行技術の全体にはどのような示唆があるか、という2つの抽象的な概念に左右されている。
当業者の技術レベルや先行技術全体の示唆を厳しい基準で評価する場合、一般的に言えば、当業者が比較的高い技術レベルを持つと認定し、かつ先行技術の全体を総合的に考慮してその示唆を判断するとき、「逆の教示」の判断基準と「技術的偏見」の判断基準は同じになる傾向がある。
3.「阻害要因」と「技術的偏見」及び「逆の教示」との関係
中国の進歩性の審査において、日本「審査基準」の「阻害要因」の例(i)~(iv)が認められるかどうかは、審査官の「当業者の技術レベル」及び「先行技術全体の示唆」に対する判断基準によって影響を受けている。
具体的には、審査官は主引用文献のみに基づき、先行技術の示唆を認定し、かつ「当業者は主引用文献の示唆のみを参照する」と判断する場合、上述の主張(i)~(iv)が「逆の教示」となっているため、主張(i)~(iv)を認める可能性がある。
しかし、審査官は主引用文献を含む先行技術の全体に基づいて、先行技術の示唆を認定し、かつ「ある先行技術文献には、ある手段に欠点があると記載されているが、当業者は他の先行技術を総合的に考慮して、当該手段が当業界の慣用手段であると確認できれば、先行技術全体には、当業者が当該手段を断念する一般的な認識及び教示が存在しないと認定する。したがって、当業者が解決しょうとする課題に直面する際に、単に先行技術に記載された欠点だけは当該手段への逆の教示、または阻害要因にならない
[2]。」と考える場合、上記主張(i)~(iv)を認めない。
後者の場合、「当業者の技術レベル」及び「先行技術全体の示唆」に対して、厳しい判断基準を採用しているため、「逆の教示」の判断基準と「技術的偏見」の判断基準は同じになる傾向がある。
実際、上述の判断基準と、日本「審査基準」の「ただし、阻害要因を考慮したとしても、当業者が請求項に係る発明に容易に想到できたことが、十分に論理付けられた場合は、請求項に係る発明の進歩性は否定される」という規定は、共通性がある。
4.中国特許実務において上記主張(iii)が否定される事例(事例1)
無効審判請求の審決番号:KS25237
事例1の係争特許は、生理学的に許容できるCRM197担体タンパク質を含む多価免疫原性組成物に関するものである。請求人が提出した証拠1には、肺炎球菌免疫原性組成物が開示されている。係争請求項1と証拠1との相違点は、係争特許がCRM197を用いるのに対して、証拠1がPDタンパク質を用い、両者の担体タンパク質が異なる点にある。証拠1の背景技術部分には、「一般に用いられる免疫原性組成物の担体の例としては、CRM197タンパク質・・・等が挙げられる。これらの担体は、例えば、エピトープ抑制が生じる等の欠点を有する」ことが記載されている。
特許権者は、「証拠1には、CRM197タンパク質が欠点を有すると記載されているため、CRM197タンパク質の使用を回避することが教示されている。当業界では、当該担体を使用することには阻害要因がある。したがって、証拠1の担体を変更する動機付けがない。」と主張した。それは、日本の審査基準の阻害要因に関する規定において例示された(iii)の場合に該当する。
無効審決にて、合議体は、「他の証拠2~4(詳細な説明を省略)の記載を総合的に考慮して、CRM197は当業界の一般的な担体である。当業者はエピトープ抑制の発生機構に基づいて、この種のワクチンを受けていない人に対して、一般的な担体では、エピトープ抑制が生じることなく、抗多糖の免疫応答を誘導することができると予期し得る。証拠1のCRM197の欠点に関する記載だけでは、当業者にCRM197を肺炎球菌ワクチンのための担体とすることができないという一般的な認識を形成させるのに十分ではない。即ち、証拠1に記載のCRM197タンパク質の欠点は、一般的な阻害要因にならない。当業者は先行技術の全体から、CRM197タンパク質が当業界の一般的な担体であることが理解できる。従来の慣用される担体タンパク質が数種のみで、当業者がその技術分野において、既知の選択を探るのは当然である。このような探索が所望の成功をもたらしたならば、それはイノベーションによる結果ではなく、設計的事項に過ぎない。また、特許権者が強調した、証拠1に開示されたCRM197担体タンパク質自体の欠点について、本特許に使用されるCRM197タンパク質も上記欠点を有し、発明が予想外の効果を奏しているとの証拠がない。」との見解を示した。
合議体は、証拠1に記載の「阻害要因」が「逆の教示」または「技術的偏見」になるかを判断するとき、証拠1には相違点の適用を排斥する記載があるか否かを判断するのではなく、当業者が先行技術の全体からどのような示唆を得るかを考慮し、「他の証拠の記載に基づき、証拠1に記載のCRM197タンパク質の欠点は阻害要因にならない。当業者は免疫組成物の担体としてCRM197タンパク質の使用を回避することがない」と認定した。
5.事例1の判断基準を日本審査基準のある事例(事例2)に適用
日本の「審査基準」では、阻害要因の上記(iii)の例として、下記の事例2が挙げられている。
事例2について、上記事例1の判断基準を使用する場合、進歩性が否定される結論を得る可能性がある。例えば、「先行技術の記載を総合的に考慮して、螺着方法は当業界の一般的な接合方法である。当業者は螺着の原理に基づいて、他の面においてもかかる効果が得られると予期し得る。主引用発明の螺着の欠点に関する記載だけでは、当業者に螺着が弁の連結に適用できないという一般的な認識を形成させるのに十分ではない。即ち、主引用発明に記載の螺着の欠点は、一般的な阻害要因にならない。当業者は先行技術の全体から、螺着が当業界の一般的な連結手段であることが理解できる。従来の慣用される連結手段が数種のみで、当業者がその技術分野において、既知の選択を探るのは当然である。このような探索が所望の成功をもたらしたならば、それはイノベーションによる結果ではなく、設計的事項に過ぎない。また、主引用文献に開示された螺着の欠点について、当該発明に使用される螺着も上記欠点を有し、発明が予想外の効果を奏しているとの証拠がない。」と判断することができる。
中国の審査実務において、事例1のような厳しい判断基準を採用する場合、上記(iii)の主張は認められない可能性がある。
なお、上記(i)~(ii)、(iv)の場合も類似するので、ここでは検討を省略する。
6.事例1及び事例2からの検討
審査官は事例1及び事例2のような判断基準を採用するとき、下記のように対応することが考えられる。つまり、①審査官が認定した先行技術の示唆が正しくないと証明することと、②相違点が発明において予想外の効果を取得できると証明することである。
審査官は事例1の判断基準で進歩性を評価するとき、最も近い先行技術(日本の主引用発明に相当)の開示内容を拡張し、主観的な判断を加えて先行技術の示唆を認定することが多く、主観的な判断について、かかる証拠を一々示すことがない。ここで、審査官が認定した先行技術の示唆と先行技術の客観的に存在する示唆の間は、疑問される余地がある。
したがって、証拠を提示して、審査官の拡張した認定が妥当ではないと証明することにより、進歩性を主張することができる。
一方、審査官の認定が正しいとしても、相違点が発明において先行技術の示唆と全く異なる作用効果(予想外の効果)を取得できると証明することにより、進歩性を主張することができる。
後の審査において、予想外の効果の主張に資するため、明細書を作成するとき、詳細な効果を記載する必要があり、具体的な構成要件に応じて、かかる効果を記載し、大まかな表現を避ける必要があると考えられる。
また、無効審判請求段階において、証拠を準備するとき、対象特許の構成についての記載があり、阻害要因の記載もある証拠について、使用をやめるのではなく、他の証拠と組み合わせて、「当該阻害要因は一般的な技術困難性にならない。当業者は、先行技術の全体から、対象特許の構成が設計的事項であることが把握できる」と証明することができる。
7.結び
上述により、中国の「技術的偏見」及び「逆の教示」は日本の「阻害要因」に関連する概念である。
中国の進歩性の審査において、日本「審査基準」の「阻害要因」の例(i)~(iv)が認められるかどうかは、審査官の「当業者の技術レベル」及び「先行技術全体の示唆」に対する判断基準によって影響を受けている。
審査官は「技術的偏見」のような基準により、例(i)~(iv)の理由が成立しないと判断する場合、審査官が拡張して認定した先行技術の示唆が正しくないと証明することと、相違点が発明において予想外の効果を取得できると証明することが考えられる。
また、明細書を作成するとき、詳細な効果を記載することは、後の進歩性主張に寄与できる。そして、無効審判請求段階において、証拠を準備するとき、対象特許の構成についての記載があり、阻害要因の記載もある証拠について、他の証拠と組み合わせて、「当該阻害要因は一般的な技術困難性にならない」と証明することができ、必要に応じて、このような証拠を活かすことができる。
[参考文献]:
[1] 董麗雯. 特許進歩性の判断において、先行技術の全体を如何に考慮すべきかについて [国家知識産権局不服審判委員会 不服審判・無効審判請求の審決に関する分析]. http://www.sipo-reexam.gov.cn/alzx/scjdpx/fswxjdpx/20964.htm, 2017-07-04).
[2] 尹昕. 先行技術には逆の教示がある否かについて[国家知識産権局不服審判委員会 不服審判・無効審判請求の審決に関する分析]. http://www.sipo-reexam.gov.cn/alzx/scjdpx/fswxjdpx/19882.htm, 2016-04-25).
[3] 中華人民共和国特許審査基準
[4] 日本特許·実用新案審査基準