「バルサルタンおよびNEP阻害剤を含む医薬組成物」特許の無効審判から見る追試の運用
北京林達劉知識産権代理事務所
化学部 中国弁理士
王 岩
2017年09月15日に、特許審判委員会は第4W105696号無効審判請求に対する口頭審理を行った。本件は、特許審判委員会の開催した「重大事件の公開審理」活動の「第5件」となり、発明の名称が「バルサルタンおよびNEP阻害剤を含む医薬組成物」である第201110029600.7号発明特許に関する無効審判請求であり、特許権者が諾華(ノバルティス)股份有限公司であり、無効審判請求人が戴錦良である。本件は重大な経済的利益に係わり、社会的影響力が非常に大きいため、特許審判委員会は5人の合議体を組んで公開審理を行った。
本件では、「対象特許の明細書に記載の実験方法及び当事者双方による証拠に基づいて、明細書が実施可能要件を満たすか、請求項1が進歩性を有するか、実施可能要件を満たすことと進歩性要件を満たすことの関係、先行技術にはN-(3-カルボキシ-1-オキソプロピル)-(4S)-p-フェニルフェニルメチル)-4-アミノ-2R-メチルブタン酸エチルエステルとバルサルタンとの組み合わせに関する示唆があるか、両者の組み合わせによる効果が当業者の合理的な予想を超えたものか、予想外の効果が満足しなければならない条件等」の点が当事者双方の主な争点となっている。
周知されるように、中国の審査指南の関係規定によれば、化学分野の発明は効果の予見性が低いため、発明特許が成立するためには実験結果による証明が必要である。新規医薬組成物の場合、その医薬用途又は薬理効果を具体的に記載するとともに、その有効量及び使用方法も記載すべきである。当業者からして、発明がかかる医薬用途、薬理効果を達成できることを先行技術から予見できない場合、発明が解決しようとする課題を解決し得ることや、所望の効果を達成できることを十分に証明できる実験室試験(動物試験を含む)又は臨床試験の定性又は定量的データを記載すべきである。
特許制度の本質からすれば、発明に関する十分な開示を前提に、国家の法律により保護される市場独占権を与える制度である。特許による市場独占期間は、出願日から起算するため、出願人は出願日に提出する出願書類において、公衆が発明の内容を確実に把握できるように、発明を十分に開示しなければならない。出願書類の重要な構成部分として、実験データは、公衆が特許に記載の発明を完全に理解するのを助けることができる。一方、実験データによる証明の範囲を制限しないと、出願日に提出する出願書類では出願人の過失か故意により発明の細かいところが抜けることが多くなるおそれがあり、公衆が公報から十分な情報を入手できなくなる可能性がある。
本件において、医薬組成物は、N-(3-カルボキシ-1-オキソプロピル)-(4S)-p-フェニルフェニルメチル)-4-アミノ-2R-メチルブタン酸エチルエステルと、バルサルタンを含む。しかし、N-(3-カルボキシ-1-オキソプロピル)-(4S)-p-フェニルフェニルメチル)-4-アミノ-2R-メチルブタン酸エチルエステル及びバルサルタンが当該分野において高血圧を治療するための選択し得る化合物であるため、この医薬組成物の進歩性有無の判断において、この医薬組成物は予想外の効果を奏したか否かは重点的に考慮されることとなる。対象特許の明細書の記載によれば、効果を検証する際に、SHRとDOCA-塩ラットという2種類の生物学的モデルを用いており、明細書0063段落には「得られた結果から、本発明の組み合わせは予想外の治療作用を達成したことが明らかである」との記載はあるが、具体的な実験結果は明細書に記載されていない。
一般的には、先行技術から読み取れない技術内容であれば、明細書に記載すべきである。例えば、効果は当業者が先行技術から予見しにくいものであれば、出願書類の作成時に、明細書において、この効果を証明し、かつ具体的な実験結果を記載しなければならない。本件において、対象特許は「予想外の治療作用を達成した」と記載しているが、明細書にはその効果を証明するための具体的な実験結果は記載されていない。この場合には、追試を提出することによってその効果を証明することは受け入れられるか。中国の審査指南からすれば、出願日より後に提出された、効果を証明するための実験証拠については、全く認められないというわけではない。改正後の審査指南では、「出願日より後に追加で提出された実験データについて、審査官は審査すべきである。追加の実験データにより証明される効果は、当業者が特許出願の開示内容から読み取れるものでなければならない。」と規定されている。
よって、追試は採用されるか否かは、追試により証明される効果が出願書類の開示内容から読み取れるものかという点がポイントである。追試による証明の範囲を制限したのは、主に次の2つの面が考慮されたからである。一つは、特許制度の本質からすれば、発明に関する十分な開示を前提に、国家の法律により保護される期限のある市場独占権を与える制度である。特許による市場独占期間は、出願日から起算するため、出願人は出願日に提出する出願書類において、公衆が発明の内容を確実に把握できるように、発明を十分に開示しなければならない。もう1つは、追試自体は本質上、証拠であり、証拠を提出することは当事者の適法な権利であり、かかる効果の証明に有効に役立てることができる。よって、当事者が追試を提出する権利を否定すべきではない。しかしながら、追試による証明の範囲を制限しないと、出願日に提出する出願書類では出願人の過失か故意により発明の細かいところが抜けることが多くなるおそれがあり、公衆が公報から十分な情報を入手できなくなり、公開された発明を再現することができなくなる可能性がある。
しかし、どのような効果が「出願書類の開示から読み取れるもの」かについて、審査実務及び裁判実務においてまだ定説がない。例えば本件において、①文言のみで記載された効果は、「出願書類の開示から読み取れるもの」として認識できるか、②追試は、明細書と全く同じ実験条件(例えば、同じ動物モデル)で行わなければならないか、③追試は、請求項に係る範囲全体が予想外の効果を奏していることを証明する必要があるか、④特許権者が提出した追試について、請求人がその信ぴょう性を認めなくても、反証を提出していない場合、その追試は結論につながる有効な証拠として採用できるか否か、という疑問があった。
これらの問題について、合議体は本件の審決において、実験データにより裏付けられていない「断言的な効果」は、当業者が当初の明細書から読み取れるものとして認識できないと認定した上、出願日より後に提出された実験証拠は、当初の明細書の「断言的な効果」を証明するためのものであれば、採用しないとしている。結果、対象特許は実験データ上の欠陥により、全部無効とされた。
また、対象特許のクレームの書き方について、筆者の考えは以下のとおりである。明細書の記載によれば、対象特許は高血圧を含む様々な疾患を治療する医薬組成物に関するものであるので、非限定型クレームの書き方を取ることは中国の審査指南の関係規定を満たしている。また、特許権者の考えとしては、本発明のポイントは、組成物中の各成分の選択にあり、各成分の含有量を限定する必要がない。これも審査指南の関係規定を満たしている。しかし、明細書には高血圧の治療に関する実験方法しか記載されていない。また、追試は成分が任意の含有量である場合の予想外の効果を証明しにくい。したがって、クレームの作成時に、権利の安定性を高めるために、用途の規定や、様々な含有量の範囲の規定を含む従属項を設けることが考えられる。
(2018)