北京林達劉知識産権代理事務所
中国弁理士 石 騰飛
I.基本情報
発明の名称:バクテリアセルロースゲルマスク
特許番号:200610075040.8
出願日:2006年3月29日
登録公告日:2008年2月13日
特許権者:鐘 春燕
無効審判請求人:海南省ココナッツ産業協会
無効審判請求日:2011年11月24日
審決発行日:2012年8月2日
審決番号:WX19154
II.はじめに
本無効審判審決では、主に次の3つの問題がポイントとなった。
①無効審判請求人は主体資格を有するか否か。
②明細書が実施可能要件を満たしているか否か。
③本件特許が進歩性を有するか否か。
上記②、及び③の問題については、発明の実現が実験データによって検証する必要があるか否かと、本特許の発明が公知技術と技術常識との組み合わせに対して進歩性を有するか否かに関わるものであった。この2点については、知財界で多く検討されているので、本稿では省略するものとする。
上記①の無効審判請求人の主体資格について、無効審判事件においてこの問題に係る判例は少ないので、本稿では、この点について検討を進めることにする。
III.事件の経緯
無効審判請求人である海南省ココナッツ産業協会は2011年11月24日、特許番号が、 ZL200610075040.8号、発明の名称が「バクテリアセルロースゲルマスク」である中国発明特許に対して、特許法第26条第3項及び特許法第22条第3項の規定に違反していることを理由に無効審判請求を提起した。
特許権者は、本件特許は特許法第26条第3項、特許法第22条第3項に規定する要件を満たしており、無効審判請求人は主体資格を有しないと主張した。
特許審判委員会は2012年8月2日、海南省ココナッツ産業協会の無効審判請求人としての主体資格は合法であるものの、無効審判請求人としての無効理由は成立しないとして、特許権を維持する旨の第19154号無効審判請求の審決を下した。
IV.無効審判請求人の主体資格
1.特許権者の主張
無効審判請求人の主体資格について、特許権者は以下のような反証を提出した。
反証2:海南省工業・情報化部が2012年3月23日に発行した瓊工信消費書簡[2012]148号である「海南省ココナッツ産業協会をバクテリアセルロースゲルマスクに係る特許の無効審判請求人とすることができないことに関する書簡」。さらに、反証2-1として海南省ココナッツ産業協会による「決議案」と 反証2-2として2011年9月28日付海南省ココナッツ産業協会の「会議議事録」の2つの資料を提出した。
反証3:海南省工業・情報化部が2012年4月20日に発行した瓊工信人事書簡[2012]218号である「海南省ココナッツ産業協会を、ココナッツウォーターの発酵による食用セルロース製造及びその製造方法、ならびにバクテリアセルロースゲルマスクに係る特許の無効審判請求人とすることができないことに関する書簡」。さらに、反証3-1として「鑑定書」(瓊公司法(痕検)字[2012060]号)と、反証3-2として請求人の授権委任状の2つの資料を提出した。
反証4:海南省民政局が2012年4月23日に発行した瓊民改[2012]1号の「是正命令通知書」。
さらに、特許権者は、海南省ココナッツ産業協会が作成した決議案がココナッツ産業協会の規定に違反していることを証明するために、「海南省ココナッツ産業協会重大活動に関する報告制度」、「海南省ココナッツ産業協会管理制度」、「海南省ココナッツ産業協会第1回理事会」、「海南省ココナッツ産業協会歴年大事記」、「海南省ココナッツ産業協会規約」を提出して、以下のような観点を主張した。
①無効審判請求人(海南省ココナッツ産業協会)は、海南省工業・情報化部の管理下にある社会団体法人である。上記海南省工業・情報化部が発行した反証2には、事前報告制度が履行されていないため、海南省ココナッツ産業協会の決議は無効である。
②海南省ココナッツ産業協会は、無効審判請求人の主体として合法性に欠ける。
③海南省ココナッツ産業協会が本件無効審判請求を提起した目的は、正義性に欠け、『社会団体登録管理条例』(1998年9月25日の中国国務院令第250号により公布)第4条の規定に違反している。
④主管機関である海南省工業・情報化部は、「是正命令通知書」を発行し、海南省ココナッツ産業協会に対して法人名義による全ての活動を禁止するように命じた。
⑤反証2-1、2-2から、無効審判請求の提起は、ココナッツ産業協会全体による共同決議ではないことが分かる。
このように、特許権者は、上記反証2~4及び他の資料により、「海南省ココナツ産業協会は、民事訴訟の主体資格を有しないことを証明できる」と強く主張した。
2.無効審判請求人の主な主張
無効審判請求人は、審理現場で有効期限が2007年8月24日~2012年8月24日である海南省ココナッツ産業協会の登録証原本を提示し、以下の観点を主張した。
①海南省ココナッツ産業協会は2007年8月24日に設立され、2012年8月24日まで有効で、独立した社団法人登録証を有するので、無効審判請求を提起する資格を有する。その登録証の発行機関である海南省民政局は、ココナッツ産業協会が法律や法規に違反していない限り、その活動に干渉してはならない。海南省工業・情報化部の書簡は、何ら法的効力を有しない。
②ココナッツ産業協会内部の決議を追究する権利について、協会会員にはあるが、特許権者にはない。したがって、海南省ココナッツ産業協会は無効審判請求人としての主体資格を有する。
3.特許審判委員会の認定
特許審判委員会は、「無効審判請求人が提出した社会団体法人登録証に記載されている有効期限は、2007年8月24日~2012年8月24日であるので、海南省ココナッツ産業協会は、上記期間内には有効に存在すると言える。関連法律によると、存続期間中、海南省ココナッツ産業協会は社会団体法人として、法律によって与えられた民事権利能力及び民事責任能力を有し、その能力に適応する民事訴訟活動に従事することができる。したがって、形式からすれば、無効審判請求人が提出した無効審判請求書、授権委任状にはいずれも『海南省ココナッツ産業協会』の公印が押印されているので、海南省ココナッツ産業協会は、中国特許審査基準の無効審判請求人の資格に関する規定を満たしている。
また、特許権者が言及した協会規約などの資料は、協会内部の規定なので、協会内部の会員に対して拘束力があるものの、外部の者に対しては拘束力を有しない。当事者が協会の決議に異議がある場合、協会内部の協議によって解決するか、又は裁判所に決議の有効性を判定してもらうことしかできない。協会登録機関又は主管機関が下した決議に対する処理は、ココナッツ産業協会が独立した社会団体法人として、その民事訴訟能力に基づく決定の成立に影響を及ぼさない。したがって、特許権者の主張は成立しない。」と認定した。
4.無効審判請求人の主体資格について
『中国特許法』第45条には、「国務院特許行政部門が特許権を付与することを公告した日から、いかなる機関又は組織又は個人もその特許権の付与が本法の規定に合致しないと認めた時は、その特許権に対して特許審判委員会に無効審判請求を提起することができる[1]」と規定されている。
上記の「いかなる機関又は組織又は個人」とは、民事権利を享有し、民事義務を負う機関又は組織又は個人のことを言い、中国の機関や組織又は個人でも、中国に恒常的な居所又は営業所を有しない外国人、外国企業又は外国のその他の組織であってもよい。
このように、中国の法律では、無効審判請求人の範囲に関する定義が広く、「いかなる機関又は組織又は個人」と大まかに規定されているだけである。「個人」とは自然人のことであり、「機関又は組織」については、立法原則及び民法原則によると、法人、非法人組織を含む全ての機関又は組織が含まれると解釈すべきである。実務において、無効審判請求人は、無効にしたい特許と利害関係を有する者が多いが、法律上では請求人としての「機関又は組織又は個人」が上記利害関係を有する者でなければならないとは要求されていない。司法実務でも、機関又は組織又は個人が法定の手続きに従って無効審判請求を提起すれば、関連機構(つまり、中国国家知識産権局)は受理して審査しなければならないという原則によって進められる。
本件では、特許権者が請求人の主体資格に対して疑問を質し、請求人が無効審判請求の主体資格を有しないことを証明するために、反証及び関連資料を提出した。しかし、提出された協会規約などの資料は、協会内部の規定であり、協会内部の会員のみに対して拘束力があり、外部の者に対しては拘束力を有しない。当事者が協会の決議に異議がある場合、協会内部の協議によって解決するか、又は裁判所に協会決議の有効性を判定してもらうことしかできない。協会登録機関又は主管機関が下した決議に対する処理は、ココナッツ産業協会が独立した社会団体法人として、その民事訴訟能力に基づく決定の成立に影響を及ぼさない。したがって、海南省ココナッツ産業協会は、民事訴訟の主体資格を有する。
次に、無効審判請求人という概念をさらに分析する。
まず、上述のように、利害関係者としての侵害被疑者でも、利害関係を有しない人でも、無効審判請求を提起することができる。実務において、特許審判委員会が受理した無効審判請求の大半が侵害訴訟の被告によって提起されている。[2] 。そのため、一般的には侵害被疑者が、無効審判請求を提起することによって、特許権者と争うことになる。
また、中国特許審査基準の規定によると、特許権者は、自分の特許に対しても、無効審判請求を提起することができ、実務においても、このような事件が実際に存在している。その原因として、以下のようなことが考えられる。
①中国では特許権付与後の訂正手続きがない。特許権者は、出願書類にミスや問題を発見しても、訂正手続きにより正すことができない。そのため、確かに訂正する必要がある場合、特許権者が自発的に一部の特許権を無効にするために、無効審判請求を提起するわけである。これにより、特許権の権利範囲を減縮し、特許権を一層安定したものにすることができる[2]。
②特許権の帰属紛争によって自分がその特許権を失う可能性がある場合、自ら無効審判請求を提起することでその可能性を排除する。
中国特許審査基準(2010)には、特許権者が自らの特許権に対して無効審判請求を提起することについて、以下の条件が規定されている。
①特許権の全部無効を請求することができず、一部無効しか請求することができないこと。
②提出された証拠は公開出版物でなければならず、他の種類の証拠であってはならないこと。
③特許権が共有に係る場合、無効審判請求は特許権者全員が共同で提起する必要があり、そのうちの1人又は一部の特許権者が提起してはならないこと。特許権者が提起する無効審判請求が上記規定に違反している場合、特許審判委員会は受理しないものとする[3]。
では、これらの条件が持つ意味について、筆者の見解を以下に記す。
①「特許権者は、特許権の全部無効を請求することができず、一部無効しか請求することができないこと」について
特許権者が特許権の全部無効を請求することは、非常識なことではないかと考える。特許権者が特許出願するのは、自分の技術を保護し、独占権を享有することにより、自分の合法的な権益を確保するためである。さらに、他者にライセンスすることで報酬を獲得し、特許によって経済的利益を得ることもできる。特許権者が特許権の全部無効を請求して無効にされたら、当該特許権は最初から無効であることになり、特許権者は独占のメリットを失ってしまう。これは、明らかに特許出願する初心に反している。また、特許権者が特許権者を放棄したい場合、年金を払わなければよいのである。無効審判を請求することで権利を放棄する方法は、却って手間も金銭もかかるので、特許権者がこのような不経済な方法を選択するのは、非常識であり、社会資源を浪費することにもなる。また、無効審判請求が提起された特許権が本来、他者の特許権であるべき場合、他者の利益を損なうおそれもある。したがって、中国特許審査基準には、特許権者による無効審判制度の濫用、社会資源の浪費を防止するために、特許権者が自分の特許を無効にする行為に対して条件が規定されている。また、帰属紛争がある場合、真の特許権者の合法的な利益を保護することにもなる。
②「特許権者によって提出された無効審判請求の証拠は公開出版物でなければならないこと」について
出願日前に公開販売されたことを言明している証拠について、特許権者が提出しても、その証拠の真実性は他者に判断されにくく、特許審判委員会も往々にして判断に窮することがある。このような証拠を特許権者が提出することができた場合、特許権者はその証拠及び関連事実を認める可能性が高い。自分に不利な証拠及び自認した事実は、通常特許審判委員会に認められる。この場合、公開販売などの公開使用に関する証拠により特許権は容易に無効にされることになる。また、帰属紛争のある特許権の場合、真の特許権者の利益が損なわれてしまう。したがって、中国特許審査基準には、無効審判段階で特許権者が提出できる証拠の種類に関する規定があり、公開出版物のみが証拠として認められると規定されている。このような証拠の真実性は通常疑問を質されない。この場合、目的を問わず、特許権者が出願日前に国内外で公開された出版物を利用して一部の特許権を無効にしたとしても、公平かつ合理的であり、真の権利者もこれで余計な損害を受けることはない。
③「特許権が共有に係る場合、無効審判請求人は特許権者全員でなければならないこと」について
この条件を加えないと、特許権者同士に紛争が生じた場合、一部の特許権者が悪意を持って特許を無効にした結果、他の特許権者の権利が損なわれ、特許管理の混乱を招くおそれもある。
V.結論
中国特許法には、「いかなる機関又は組織又は個人(特許権者を含む)」が無効審判請求を提起することができると明確に規定されている。また、中国特許審査基準に、特許権者が無効審判請求を提起する場合の条件が規定されていることは、一定の現実的な意義を有すると思われる。
VI.終わりに
本件特許は、最終的に有効であると特許審判委員会に認定された。本件特許は第11回中国特許優秀賞を獲得し、国家科学技術重要プロジェクトに選出された。また、その特許製品は産業化され、韓国、日本、台湾などに輸出されている。また、本件特許によって中国ココナッツ産業は、食品分野だけでなく、非食品分野にも進出することに成功し、ココナッツの付加価値を効果的に向上させ、ココナッツ産業をグレイドアップさせたとともに、ココナッツの新しい分野への応用を推し進めた。したがって、本件特許が有効であるか否かは、中国ココナッツ産業に重要な影響を及ぼしたと言える。
参考文献:
[1] 中国特許法(2008)
[2] 尹新天、中国特許法詳解、469頁、2011年3月
[3] 中国特許審査基準(2010)、第4部第3章3.2
(2014)