I.はじめに
2008年以来、中国特許(実用新案、意匠を含め)の不服・無効審判請求事件は年々増加の一途をたどっており、2012年には、2008年の約5倍にあたる2万件を超えた。中国の専利復審委員会(日本特許庁の「審判部」に相当)は2012年の不服・無効審判請求事件から、無水銀ボタン電池事件、豆乳機事件、シェーバー事件、バス意匠事件など、広範な注目を集めた事件10件を選んで代表的な審判例として発表した。これらの事件は、膨大な請求に係る侵害訴訟に関連するもの、またはその業界や産業に大きな影響を及ぼす可能性があるか及ぼしたもの、または重要な法的問題に関係するものであった。
本稿では、ネオプラン社の「車」という登録意匠に係る「バス意匠事件」について、①外国証拠の証拠収集及び採用基準、②自動車模型の図面が自動車意匠の無効資料として使用される可能性、③新規性喪失の例外規定の適用が満たすべき要件、という3つの観点から検討する。
II.事件の経緯
同バス意匠事件とは、ドイツのバス車体メーカーであるネオプラン社が、意匠権侵害を理由に中国のバスメーカー・中威客車公司(以下、「中威社」という)を訴えた後、中威社が侵害訴訟に係る登録意匠(以下、「本件意匠」という)に対して何度も無効審判請求を提起し、その結果、本件意匠が無効になった事件のことをいう。同事件の詳細な経過は、以下のとおりである。
ネオプラン社は、登録番号が200430088722.4、意匠の名称が「車」である中国登録意匠(つまり本件意匠)を保有していた(出願日:2004年9月23日、優先日:2004年9月20日)。
ネオプラン社は2006年、中威社を含む中国のバスメーカー3社が製造・販売したA9型バスが本件意匠を模倣していることを発見し、同年9月19日に、中威社等が自社の意匠権を侵害したとして、北京市第一中等裁判所に提訴した。
2006年10月26日、中威社は、専利法第23条違反と第9条違反を理由に、本件意匠に対する無効審判請求を専利復審委員会に提起した。2007年8月6日、本件意匠を有効とする第10362号審決が出された。
2007年5月25日、中威社は、専利法第23条違反を理由に再度、本件意匠に対する無効審判請求を提起した。2008年3月6日、本件意匠を有効とする第11155号審決が出された。
2009年1月20日、北京市第一中等裁判所は、ネオプラン社勝訴の判決を下し、被告3社に対して、損害額2000万元及び訴訟費用116万元の合計2116万元の賠償を共同で負担するとともに、侵害品であるバスの製造及び販売を直ちに中止すべき旨の(2006)一中民初字第12804号民事判決(第一審判決)を言い渡した。
中威社等は、第一審判決を不服として北京市高等裁判所に控訴し、北京市高等裁判所は2009年3月23日にその控訴を受理した。
2009年7月21日、中威社は、3度目の無効審判請求を専利復審委員会に提起した。2010年2月25日、本件意匠を無効とする第14484号審決が出された。
ネオプラン社は、第14484号審決を不服として、北京市第一中等裁判所に審決取消訴訟を提起した。2012年2月27日、北京市第一中等裁判所は、第14484号審決を維持する旨の(2010)一中行初字第2148号行政判決を言い渡した。
ネオプラン社は、上記行政判決を不服として北京市高等裁判所に控訴した。2012年7月11日、北京市高等裁判所は控訴を棄却し、原審を維持する旨の(2012)高行終字第911号行政判决を言い渡した。
2012年8月10日、北京市高等裁判所は上記第一審判決((2006)一中民初字第12804号民事判決)を取消し、ネオプラン社の請求を棄却する旨の判決をした。
このように、
ネオプラン社が主張していた意匠権が無効になり、その権利行使の基礎がなくなったため、その民事訴訟の請求も認められなくなった。つまり、上記民事訴訟における被告3社は、2116万元の賠償金を支払う必要がなくなった。
中威社は本件意匠に対して何度も無効審判を請求した。閲覧できる3件の無効審判請求審決のうち、最初の2件は、請求人の提出した先行意匠が本件意匠と非類似であったり、提出した外国証拠が公証、認証をしていなかったり、証拠の追加提出が立証期限を超えていたりした理由で本件意匠を有効とした。
以下に、本件意匠を無効とした第14484号審決について詳細に検討する。
III.無効審判請求の経過及び解説
1. 本件意匠
ネオプラン社が保有していた本件意匠(登録番号:200430088722.4)は、上記のようなものである。
2. 法的根拠
専利法第23条:専利権を付与する意匠は、出願日以前に国内外の刊行物に公然発表されたかまたは国内で公然使用された意匠と同一でも類似でもないものでなければならない。
(注記:本件意匠は2009年の第3回改正専利法の施行より前に出願されたものであるため、旧専利法が適用された。)
3. 当事者の主張
請求人の主張:
証拠は真実かつ有効なものであり、法律の規定に適合する。各証拠は相互に証明し合うことで、完全な証拠群となり、本件意匠が優先日よりも前にドイツの雑誌「Bus Aktuell」と「Bus magzin」に公然発表されたことを十分に証明している。よって、本件意匠は専利法第23条に違反するものであり、無効にすべきである。
意匠権者の指摘:
証拠として使用された2004年第9号の「Bus Aktuell」と「Bus magzin」はいずれも、公開日の記載がなく、本件に関係する事実を証明することができない。
2004年第9号の「Bus Aktuell」と「Bus magzin」に掲載された写真はバス模型の写真である。バス模型はバスとは物品の種類が異なるため、両者は当然異なる意匠である。また、その公開について、意匠権者の授権・許可を得ていない。
意匠権者はさらに、ドイツ国家図書館ライプチヒ本部のマネージャーであるシェール・フィーヌズ氏の「寄贈された雑誌が国家図書館に届いた日は、公開日またはマスコミ業界の公然使用日ではない」という証言を反証9として提出した。
また、意匠権者は、雑誌が図書館に届いた日は雑誌が公衆に公開された日ではないことを証明する反証も提出した。
4. 証拠及び事実の認定
本件の審決によれば、合議体は証拠について以下の通り認定している。
(1) 刊行物の公開日について
①「Bus Aktuell」について
証拠1:ドイツのミュンヘンの公証人・ハンスヨルク・ヘラー博士が発行した第H0676/2009号公証書(ドイツ博物館図書館に雑誌「Bus Aktuell」2004年第9号が所蔵されていることを証明するためのもの)。
証拠6:「Bus Aktuell」2004年第9号の公開日が遅くとも2004年9月17日であることを証明するためのもの。次の3つを含む。
(i)ドイツの公証人・フィルストベッグ氏が発行した第F.360/2009号公証書。この公証書は、ホジャー&メンデ社に「Bus Aktuell」2004年第9号の発売日を問い合わせたドイツ弁護士ヨルゲン・ハンゴルハウプト氏の証言を公証したものである。また、「Bus Aktuell」2004年第9号の発売日が2004年9月17日であり、発売当日に発注者に送ったことが電子記録に残っていることを示す同社の返信レター(社印及び責任者署名付き)が添付されている。
(ii)ドイツのシュトゥットガルトの公証人・べウント・シトムプ氏が発行した第218-a/2009号公証書。この公証書は、同公証人がホジャー&メンデ社を自ら訪れて上記「Bus Aktuell」の納品日を調べたことを証明するものである。納品日が2004年9月17日であることを示す同社のシステム画面のコピーが添付されている。
(iii)ドイツのマンハイム初等裁判所・会社登録裁判所の係員クリスティナ・ジェガンテ氏が署名したホジャー&メンデ社登録証明書(ホジャー&メンデ社が適法に存続している法人であることを証明するもの)。
合議体は、証拠1及び証拠6は、ドイツで刊行された雑誌「Bus Aktuell」2004年第9号が2004年9月17日に公衆に公開されたことを証明でき、この公開日が本件意匠の優先日(2004年9月20日)より前であるため、この雑誌は専利法第23条に規定する出願日以前の公知刊行物に該当する、と認定している。
②「Bus magzin」について
証拠4は公証・認証済のドイツ国家図書館のライプチヒ事務室長による証言及び「Bus magzin」2004年第9号の関係頁のコピー(同館印鑑付き)であり、「Bus magzin」2004年第9号の公開日が2004年9月6日であることを証明するためのものである。証言は、同雑誌が2004年9月6日に同図書館に登録されたという旨のものである(ドイツ国家図書館の印鑑が捺印されている)。
意匠権者が提出した反証9は、公証・認証済の証言であり、証拠4と同一の証人が、同図書館に「Bus magzin」2004年第9号が登録されている事実について、「図書館に届いた日が、公開日またはマスコミ業界の公然使用日ではない」ことを述べたものである。
合議体の判断:証拠4と反証9は、「Bus magzin」2004年第9号が2004年9月6日に同図書館に登録されたことを証明できる。出版社は、「Bus magzin」を公衆が閲覧できるように、国家図書館に寄贈したが、国家図書館自体も公衆の範囲に入る。よって、「Bus magzin」が国家図書館に届いた時点は、すなわち、公衆が入手できる時点である。このように、「Bus magzin」2004年第9号は、本願の優先日より前の2004年9月6日に公衆に公開されていると認定できる。したがって、「Bus magzin」2004年第9号は、専利法第23条に規定する出願日以前の公知刊行物に該当する。
(2) 意匠権者の授権・許可無しの公開について
意匠権者は公証・認証済の反証1~7を提出し、
2004年8月24日に行われた記者発表会においてバス模型を展示する際に、出席者に対して、撮影した写真を2004年9月23日以前に発表しないよう要請したと主張している。
しかし、意匠権者が提出した反証1~7は、証人が自ら記者発表会の現場に出席しなかったか、または証人は現場に出席したが、証言では現場で所定日以前に展示品(写真)を公開しないよう要求された旨の言及がなかったか、または証人が意匠権者の従業員であり、本件と直接の利害関係を有したものである。その他の証拠による裏付けができない状況において、その証言は信用に足る証拠として採用できない。よって、合議体は、意匠権者の反証は、記者発表会の出席者に対して、撮影した写真を2004年9月23日以前に発表しないよう要請したという主張を支持することができないと認定した。
一方、意匠権者の
反証は、
意匠権者が新規なバスを社会公衆に紹介するために展示品の記者発表会を行ったことを証明できる。この前提において、意匠権者が、発表会に出席した記者に展示品の秘密保持をするよう要請することは常識に合わない。また、意匠権者が上記発表会の形態及び目的、出席者の職業の特性を知った以上、意匠出願時に少なくとも、審査指南の関連規定に従って、本願の意匠が他者により漏洩されたことを知り得た日から2ヵ月以内、つまり上記「Bus Aktuell」刊行後の2ヵ月以内に、新規性喪失の例外の声明及び証明書を提出すべきであったものの、意匠権者は上記の期間内に声明及び証明書を提出していなかった。その結果、専利法第24条第3項の規定により新規性の猶予期間を獲得することができなかった。
5. 類否判断
意匠権者は、「Bus Aktuell」2004年第9号に掲載された写真はバス模型の写真であることを主張するとともに、反証1~8によりこの主張を証明しようとした。しかし、上記雑誌の最初の文章から、「安全部材」、「EPS及びブレーキアシストシステム」等に関する内容が見られ、この文章により伝わるものは、模型に関する説明ではなく、新規な大型乗用車の情報であることが分かる。意匠権者は、掲載された写真に撮られているものがバスの模型であると主張しているが、それにより示されているものがバスの意匠であることは明らかである。その結果、「Bus Aktuell」2004年第9号に掲載された写真にバスの意匠が開示されていると認定された。
上述の事実認定を踏まえ、合議体は、本件意匠が上記雑誌に掲載された先行意匠に類似するとして無効審決を下した。
IV.コメント
本件の争点は主に下記3点にある。
1. 外国証拠をどのように収集するか及び採用基準が何なのか。
2. バス模型の写真に示される意匠がバスの意匠であるか否か。
3. 意匠権者が公開を授権・許可していない(新規性を喪失していない)理由は成立するか否か。
本件の経緯、争点及び合議体の判断を検討した上で、以下のとおり留意事項をまとめる。
① 外国で形成された証拠は、公証、認証の手続きを行う必要がある。
外国証拠は所在国の公証役場による証明が必須であり、かつ、同国駐在の中国領事館による認証または両国が加盟している条約に規定する証明手続きを取る必要がある。
② 出願人は、その技術や意匠を公開する前に出願を行うべきである。
出願日前の公開が新規性喪失の例外規定に適合する場合、所定の期間内に証明書を提出し、新規性喪失の例外規定の適用を確保すべきである。
(専利法第24条専利出願する発明創造が出願日(優先権を主張する場合は優先日)以前の6ヶ月以内に、次の各号の一つに該当するときは、その新規性を喪失しないものとする。
(1)中国政府が主催又は承認した国際博覧会において初めて出展したもの。
(2)所定の学術会議又は技術会議で初めて発表したもの。
(3)他人が出願人の同意を得ずにその内容を漏らしたもの。)
ヨーロッパとは違い、中国の「新規性喪失の例外規定」は上記専利法第24条の(1)~(3)だけである。この3つの場合を除き、出願人自らの公開であっても、新規性喪失の例外規定の適用を受けることができず、しかもこの「公開行為」が他者に無効審判請求の証拠として利用された場合、かかる特許(意匠、実用新案)が無効になる可能性がある。
また、中国において、新規性喪失の例外に対する審査は非常に厳しい。例えば、中国政府が主催又は承認した国際博覧会において初めて出展したものは、主催者による証明書が必要になる。証明書には、博覧会の開催期間、場所、博覧会の名称及び出願に係る展示品の展示期間、展示形態及び内容が明記され、かつ主催者の公印が捺印されていることが必要である。実務において、主催者の公印はかなり入手し難いものである。
③公知刊行物に掲載された写真が自動車模型の写真であっても、確かに自動車の意匠を示している場合、やはり本件意匠の有効性を否定するための証拠として使用できる。
意匠権者の反証1~7は、2004年8月24日に行われた記者発表会に展示されたバス模型が、バスとは物品の種類が異なり、両者が比較不可能であることを主張するためのものである。しかし、このような証拠は、意匠権者が新規なバスを社会公衆に紹介するために展示品の記者発表会を開いたことも証明している。
また、「Bus Aktuell」2004年第9号の最初の文章から、「安全部材」や「EPS及びブレーキアシストシステム」等に関する内容が見られ、この文章により伝わるものは、模型に関する説明ではなく、新規な大型乗用車の情報であることが分かる。意匠権者は、その写真に撮られたものが模型であると主張していても、それにより示されるものがバスの意匠であることは明らかである。結果として、「Bus Aktuell」2004年第9号に掲載された写真にバスの意匠が開示されていると認定された。
④反証を提出する際に、こちらの証拠が相手方の主張を裏付けてしまうことがないように特に留意すべきである。
本件において、意匠権者は反証9により、「寄贈された雑誌が国家図書館に届いた日は公開日またはマスコミ業界の公然使用日ではない」ことを証明しようとした。しかし、意匠権者は、国家図書館自体も公衆の範囲に属することを認識できなかった。したがって、国家図書館が雑誌を受け取った時点は、公衆が入手できる時点となる。つまり、在庫があれば、発注を引き受けることができるということである。そのため、合議体は意匠権者の主張を認めず、この反証9は逆に、証拠の公開日が本件意匠の優先日より前である証明となってしまった。
⑤権利行使された場合、無効審判請求は侵害訴訟に対処する最も有効な方法である。
無効審判請求にあたり、証拠の収集はもちろん、証拠の真実性、関連性及び適法性の確保、並びに完全な証拠群の形成も重要である。
⑥外国に出願する際に、各国の特許制度の異同を予め把握することが望ましい。また、出願前に公開があった場合には、現地代理人に知らせるべきである。
V.結びに
本件は中国意匠に係る無効審判請求の代表的な一例である。特に、本件の証拠収集の方法及びこのような証拠の採用基準は今後の参考になる。例えば、中威社は本件意匠が出願前に公開されたことを証明するために、ドイツの雑誌「Bus Aktuell」を証拠として提出し、しかもドイツの弁護士を通じて雑誌販売会社のシステムに記録された雑誌発売日の証拠を収集し、さらに販売の現場における雑誌販売記録を公証人に証明してもらった。このような方法により、本件意匠が出願前に公開されたことを証明できた。その結果、合議体は無効審判請求人の証拠を採用し、本件意匠を無効とする旨の審決を下した。
本稿は、第11484号無効審判請求審決に係る事件の経緯を紹介した上、この事例における若干の代表的な問題について検討し、実務における留意事項をまとめた。今後の参考になれば幸いである。